涙のSG初優勝、徳山64年ぶりのSGと優勝し感動的SG優勝が印象的な白井英治選手。
初G1から20年以上にわたってA1九州地区で活躍し続ける凄腕レーサー白井英治選手について触れていきます。
目次
「白井英治」プロフィール
4度の入所試験失敗がありながら諦めることなく今村豊氏に弟子入り。SG優勝という壁に何度も跳ね返されながら2度の涙の優勝を果たした選手。レースの読みはプロ級の麻雀が秘訣?師匠愛に満ち溢れたそんな全国トップクラスの選手です。
「白井英治」ってどんな選手?
ボートレーサーになるきっかけ
白井選手の父がボート好きだったため、小学校のころからボートレース場に連れて行ってもらっていたそうで、その頃から選手になろうと決意しました。また、養成所に入る前に今村豊氏のもとを訪ねて「受かったら(弟子として)お願いします」と直接お願いに行ってたそうです。
5度目の試験で合格
ボートレーサー養成所の試験は4度も不合格となった白井英治選手。1度目は学科試験、2度目は減量により血圧で不合格、3.4度目は身長オーバーで不合格となっていたそうです。現在でこそ175cm以下となっている養成所入所の要項ではありますが、当時は身長オーバーとなっていたのですね。
SG初勝利より先に優出?
通常では予選を突破するためには勝利がなくては難しいでしょう。しかし、白井選手は2001年の全日本選手権で5.6コースのみの戦いをしながらも2着3回、3着1回、4着2回とまとめ予選突破。準優勝はフライング艇もあり2着をもぎ取り、水神祭より先にSGで優出という珍しいケースとなりました。
勝ちきれないSG
4期先輩の瓜生正義選手も「無冠の帝王」と呼ばれていましたが、白井選手は更に苦労が続いていました。初制覇の前まで68度のSG挑戦し13回の優出。中には2005年のSG総理大臣杯で優勝Fを喫し、1年以上SGから遠ざかっていた時もありました。
涙のSG優勝
遂に2014年のボートレースメモリアルで白井選手はSGタイトルを手にします。ピットに戻ると師匠の今村豊氏は泣きながら飛びつくように抱きつきました。また、2度目のSG制覇となった2018年の徳山64年ぶりのSG開催となったグランドチャンピオンでは、開会式から山口支部3名が「地元から優勝を出す」と意気込み、支柱であった今村豊氏やシリーズをリードした寺田祥選手と共に戦い、白井選手が優勝。優勝戦前には泣かないと言っていたものの再び涙のSG制覇となりました。
師匠の引退
2020年に行われた今村豊氏の引退会見では出場しているボートレース平和島の周年記念競走からビデオレターでの出演をしていました。師匠の出来なかったグランプリ制覇の夢は自分が引き継ぐと宣言し、最後に「師匠。愛しています。」と感謝の意を示していました。これほどまでに深い師弟愛に多くの方が涙したことでしょう。
白井英治選手の来歴
ボートレース下関
一般戦「タイトル不明」
初日第1R(6着)
ボートレース宮島
一般戦「一般競走」
2日目第9R(デビューから9走目)
一般戦「追い山特選レース」(5着)
G1「競帝王決定戦 開設44周年記念競走」
初日第1R(6着)
一般戦「一般戦」
(6コースから決まり手は差し)
G1「第14回新鋭王座決定戦競走」
初日第6R(5コースから決まり手は差し)
G1「ダイヤモンドカップ競走」(3着)
SG「第6回オーシャンカップ競走」
初日第8R(5着)
SG「第48回全日本選手権競走」(5着)
SG「第37回総理大臣杯」
4日目第2R(5コースから決まり手はまくり)
G1「トーキョー・ベイ・カップ開設49周年記念競走」
(1コースから決まり手は逃げ)
一般戦「スポニチ金杯争奪 関門大賞」
5日目7R
SG「第60回ボートレースメモリアル(MB記念)」
(2コースから決まり手はまくり)
一般戦「日本モーターボート選手会会長賞」
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「白井英治」エピソードいろいろ
家族はデビュー2年ほどして幼なじみの女性と結婚し、お子さんは女の子4人、男の子1人の計5人。子供たちは白井選手が優勝できるよう、よく神棚にもお祈りしているそうです。
趣味は麻雀で、日本プロ麻雀連盟の大会に出場するほどということですからかなりの腕前。麻雀も相手や先を読む力が必要ですから、ボートレースに繋がるということもあるかもしれません。
師匠の今村豊氏や日高逸子選手と共にゴルフをする姿が日高選手のブログに掲載されていたことも。
白井英治選手フォトグラフィー
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