絶対王者と呼ばれ、華々しい経歴を持つ松井繁選手。50代となってからも存在感は一際輝いています。獲得したタイトルは数しれず。そんな王者松井選手について今回は調べてみました。
松井繁 プロフィール
登録番号 3415
生年月日 1966年11月11日
身長 169cm
血液型 O型
支部 大阪支部
出身地 大阪府
登録期 64期
師匠 金谷英男
幼い頃の家業の従業員による言葉、友人から貰った資料によって目標が出来た松井繁選手。デビューするとその能力は華々しく開花します。G1制覇やグランプリ出場を早々に終え、松井繁の黄金時代が到来。その勢いは今の峰竜太以上でした。娘がグランプリ獲得した2021年。父も再びグランプリを制することが出来るでしょうか。
松井繁 来歴
1989年05月13日 デビュー戦
ボートレース住之江 一般戦「タイトル不明」
1992年05月 G1初優勝
ボートレース戸田 G1「開設36周年記念 戸田グランプリ」(3コースから決まり手はまくり)
1996年05月27日 SG初優勝
ボートレース児島 SG「第23回 笹川賞」(6コースから決まり手は恵まれ)
2009年07月14日 通算1500勝
ボートレース津 G1「モーターボート大賞」4日目第5R
2011年09月08日 通算100優勝
ボートレース鳴門 G1「開設58周年記念 大渦大賞」
2016年01月06日 通算2000勝
ボートレース住之江 一般戦「第54回 全大阪王将戦」5日目第7R
松井繁 エピソード(競艇・ボートレース関連)
レーサーになるきっかけ
松井繁選手の実家は魚屋さんであり、松井選手が幼い頃、ボートレースファンの従業員が体型も小さい松井選手を見て「ボートレーサーに向いてる」と言ったそうです。高校時代までテニスをしていた松井選手でしたが、進路を考えた際に幼い頃の「ボートレーサー」というものを意識したのがきっかけの一つです。また、たまたま友人から貰った養成所の案内で始めたという声もあります。
G1初優勝までが早い
令和になってのボートレースでも1年目は5.6着を並べ、2年目から力をつけていき、早い選手でも3年目頃からA級にようやく昇格という流れが多いですが、松井選手はデビューから丸3年でG1優勝を早くも果たします。この快進撃で徐々に全国に名前が広まっていくこととなります。
デビュー僅か6年で賞金王決定戦へ
1995年に松井繁選手は賞金王決定戦に初めて出場。現在とは異なり、年間の賞金ランキング12位までの選手によって争われていた時代とあって、若手選手が出場するのは厳しい状況。それでもその舞台に出場した松井選手がどれだけすごいかわかります。
SGで優出ラッシュへ
1996年の笹川賞でSG初優勝を果たした松井繁選手はそれからボート界の頂点に君臨します。その強さは2021年頃の峰竜太選手以上の成績を残し続けていました。
松井繁選手
http://www.boatrace-db.net/racer/asg/regno/3415/
峰竜太選手
http://www.boatrace-db.net/racer/asg/regno/4320/
この2つを見比べると松井選手がどれだけSGで優出を重ねていたか非常によくわかります。松井選手のピーク時にボートレースを知っていたかったという後悔すら生まれます。
【レースにおける売り】ボートレース界の絶対王者は今もなおSG戦の先頭集団を走る。全てのレースは「グランプリに出るための長い予選」の名言を残すほどGPへの思いは強い。調整手腕も超一流。経験に裏付けられた技術でエンジンを出す。
【こういう時こそ買い】一時は思うような走りができずファンも心配していたが、近年はペラ調整も好調で、初日から軽快な動きを見せることが多い。行き足がくる場合が多くまくりレースも。外枠時は内へ潜り込んで2,3着にまとめる傾向も。
松井繁 エピソード(競艇・ボートレース以外)
趣味はドライブ。愛車はアルファロメオだそうです。
若い頃は似ている芸能人としてマイケル富岡と言われていました。
高級靴・ベルルッティ(1足30万するものもある)を好んでいて、30足以上のコレクションがあるそうです。大事なレースの前には履くという験担ぎでも使われているそうです。
松井選手の娘・松井朝海さんは2021年ミス日本コンテストでグランプリを獲得。父娘揃ってグランプリを制するというすごい記録となりました。
松井繁 関連リンク
◆YouTube
◆ブログ
◆公式サイト
https://www.ooja.jp/
◆その他