「戸田天皇」こと池上裕次が引退
ボートレース界では「戸田天皇」と呼ばれ、戸田にめっぽう強い男。そんな関東を代表するトップレーサーだった戸田天皇の池上裕次(55)が現役を退いた。
17日付で選手登録消除申請を行っており、SNSなどでは一時、「池上裕次選手の選手紹介ページにアクセスできない」と話題にも上がっていた。
池上裕次 引退の理由
引退のきっかけとなったのは、4月26日の平和島での負傷。これが理由に引退を決意したのだという。
池上本人も、その怪我で3節欠場、骨折はないが足に張りを感じ、今一度競走人生を見直したときに、自然とそういう結論に至った模様だ。
競艇、競馬、どの競技でもそうだが、しばらくボートに乗れない、馬に乗れないというのは、選手にとっては大きなこと。その間に色々と考えてしまうのも無理はない。
池上裕次を振り返る
1986年5月に戸田でデビュー。1走目から初勝利を飾り、その名をすぐに轟かせた。
1989年以降はG1、SGも出走するようになり、1991年の戸田35周年で初のG1タイトルを獲得。
関東のトップレーサーとして名を挙げると、2000年の戸田ダービーで2M逆転劇からの初SG制覇を成し遂げ、この頃には戸田天皇と呼ばれるようになった。
初勝利や、G1優勝5回を含め、獲得タイトルのすべてが戸田という地元で無類の強さを誇った男。こういった尖った選手はそうそう見るものではない。
通算成績は7738戦1983勝、優勝60回。
通算獲得賞金は13億124万2686円。
また一人、トップレーサーがボートレース界を後にした。
池上裕次の引退 まとめ
本人の一番の思い出は、6コースからまくり差しで勝った38周年の戸田の記念レースだという。てっきりSG制覇の時だと思っていたが、この38周年の記念レースは、前の日からのシミュレーション通りのレースが出来、本人が一番納得できたレースだったようだ。
池上本人にとってもファンにとっても戸田は特別なものだった。こういった選手がいなくなるのは寂しい事だが、大きな事故もなく、本人の意思で無事に引退できることはめでたい事だとも言えるだろう。
執筆:西川