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東都のエースとして東京支部の中心選手を長く務めている濱野谷憲吾選手。全国のファンに愛され、濱野谷選手を見てボートレースファンとなった方や選手になった者も多いでしょう。今回は濱野谷選手について調べてみました。

濱野谷憲吾 プロフィール

登録番号 3590
生年月日 1973年11月08日
身長 169cm
血液型 A型
支部 東京支部
出身地 東京都
登録期 70期
師匠 乙津康志

収入を得てかっこいい車に乗るとレーサーになった濱野谷選手。初優勝からの連敗続きを乗り越えて才能開花。ド派手なSGデビュー戦となり注目されるようになります。無類の平和島巧者であり東都のエースは2020年の悔しさをバネに再び頂上決戦に向かっていきます。

濱野谷憲吾 来歴

1992年05月19日 デビュー戦
ボートレース平和島 一般戦「タイトル不明」

1992年05月 初勝利
ボートレース平和島 一般戦「タイトル不明」(デビュー2走目)

1993年09月23日 初優勝
ボートレース戸田 一般戦「一般戦」

1996年10月 SG初出場
ボートレース福岡 SG「第43回全日本選手権」

1997年09月11日 G1初優勝
ボートレース桐生 G1「第41回赤城雷神杯」

1998年10月11日 SG初優勝
ボートレース福岡 SG「第45回全日本選手権」(5コースから決まり手はまくり)

2007年06月08日 通算1000勝
ボートレース津 G1「開設55周年記念 つつじ賞王座決定戦」3日目第7R

2015年08月17日 通算1500勝
ボートレース多摩川 一般戦「第17回大郷葉月杯」4日目第9R

2021年03月27日 全24場優勝
ボートレース唐津 一般戦「第6回ライブキャッチ杯」

濱野谷憲吾 エピソード(競艇・ボートレース関連)

レーサーになるきっかけ
ボートレーサーは多くの選手が水上を走る選手にかっこよさを感じて志す方が多くいました。しかし濱野谷選手はレーサーになったその理由を「高収入を得ていい車に乗るため」と話しています。生活のためや家族を支えるためといった方もいましたが、ここまでハッキリ言えるということは車への憧れが相当なものだったと考えられます。

初優勝から25連敗 そして開花
濱野谷選手の初優勝はデビューから1年4ヶ月後の2003年9月。その後優勝戦25連敗と苦難が続きます。(この間2年半ですが、若手選手が25優出2年半でするのもすごいことです。)ようやく2度目の優勝を1996年5月の平和島で達成すると、この年には3連続優勝を含む7回優勝と一気に才能が開花しました。

ファン多いからこそアンチも多い?
濱野谷選手には「東都のエース」や「ムテキング」と言った異名もあります。一方で「ヘマキング」や「へまのや」と揶揄されることも。発端となったのはSG初出場の1996年の全日本選手権。濱野谷選手は5日目の第4Rと第7Rでどちらも転覆。当時は現在のようにどこの場も手軽に買えるわけではなく、SGやG1のみといった他場の発売だったため、より一層ファンには印象の強いものとなったと考えられます。

平和島といえば濱野谷
2021年6月までに通算17回優勝している平和島。もちろん江戸川や多摩川での活躍も目立ち、江戸川は石渡鉄兵選手が巧者として挙げられますが、濱野谷選手も相当な旋回力があります。それ以上に得意とするのが平和島。イン逃げ率45%ほどしかない水面で逃げ率8割以上の成績に2着内率100%を数年以上残していた期間もあります。道中の走りも熟知しているため、濱野谷選手が平和島に出場している際は大注目です。

復活の2021年、14年ぶりのSG優勝
2021年は6月まででG1優勝を果たし記念優出も4回。再びトップでの争いに加わり始めた濱野谷選手。2021年7月にボートレース芦屋で行われたSG第26回オーシャンカップでは予選トップ通過を果たし14年ぶりのSG優勝となりました。2007年にSG総理大臣杯を勝利した際は「帝王」の異名を取っていた植木通彦さんのフライングによる恵まれという形でしたが通算5度目のSGは誰よりも圧倒的成績を残しての久しぶりの美酒となりました。

 

【レースにおける売り】人気・実力ともに一流のスター選手で、付いた呼び名は東都のエース。テクニック勝負にスピード勝負、何でもこなすファンタジスタ。特にセンター、アウトから鮮やかな弧を描きながら突き抜ける高速まくり差しは必見。
【こういう時こそ買い】イン成績も安定感があるが、やはり狙っていきたいのが全速まくり差し。特に奇数艇番・奇数コースからの狙い澄ましたような絶品ハンドルがみどころ。体重もチェック。勝つ気できている時は体重を絞って参戦してくる。

 

濱野谷憲吾 エピソード(競艇・ボートレース以外)

大人気漫画「モンキーターン」。仮に読んだことはなかったとしてもボートレースファンならば誰もが知っているでしょう。その主人公である波多野憲二のモデルとなったのが濱野谷憲吾選手。作者が競艇のマンガを作らないかと声がかかり、平和島競艇場で取材をしていた時に走っていたのが濱野谷選手。ある種の偶然によって描かれたとも言えます。2021年にSGオーシャンカップを勝利した7月25日は奇しくも波多野憲二の誕生でもありました。

レーサーを目指す動機にもなった車ですが、愛車は「ベントレー」のようです。2000万円以上もする高級車ですね。

濱野谷憲吾選手の兄、濱野谷憲尚(のりひさ)さんは元JRA·日本中央競馬会の騎手でした。1990年にデビューし、障害レースを中心に通算79勝。兄弟揃って異種のアスリートとは恐れ入りました。

濱野谷憲吾 関連リンク

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